とうさん、がんばるぞ!  日本大好き「とうさん」の子育て奮闘記&もろもろ。

【日本人よ、前を向け】欧米列強の大罪|キリスト教と異民族大虐殺Ⅳ

前回の復習

十六世紀はスペイン・ポルトガル、十七世紀はオランダ、十八~十九世紀はイギリス、二十世紀はアメリカが、それぞれ植民地から収奪を続けた。今回はアメリカ・オーストラリアで起こった原住民虐殺と奴隷狩りについてみてみよう。
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奴隷狩り

スペインがアステカ帝国やインカ帝国を簡単に滅ぼしたことは前述した。少なく見積もっても三千万人の命が奪われた・・・だが、これだけ人口が減ると困ることが起こる。新しく金山を発見しても、砂糖・コーヒーなどを育てるための良い土地を手に入れても、労働力が足りないのである。そこで西欧白人たちはアフリカから労働力としての奴隷を連れてくることを考えた。

これでまた西欧白人は大罪を背負うこととなる。自分達で原住民の大虐殺を行っておきながら、一方で労働力不足が起こると、その穴埋めとしてまた悪事を働くのだ。奴隷狩りの始まりだ・・・

奴隷狩りは3つの方法をとった。一つは拉致・誘拐である。動物を捕まえるように通りがかった原住民をさらっていく。北朝鮮を大きく上回る拉致を白人達は行ったのだ。二つ目は白人奴隷商人とアフリカ人首長の「契約」。首長が他部族に戦争をしかけ、その捕虜を白人に売り渡した。三つめが首長が白人と組んで同胞を売り渡す。同胞に対する裏切りだ。

集められた悲運の奴隷たちの実態は清水氏の著書を引用する。

【清水馨八郎著:侵略の世界史p.127より引用】
奴隷船には複数の奴隷商人の商品(奴隷)が積み込まれるため、所有者の見分けがつくように、牛馬のように腕や腹に焼印を押され、二人づつ鎖でつながれて暗い船倉に放り込まれる。船倉は天井が低く、立つことも横になることもできない。奴隷たちはそこに詰め込まれ、汗まみれ、くそまみれの生き地獄が待っている。だから航海中に半分以上は死亡した。死体は無造作に大西洋に捨てられ、魚の餌食にされたのである。

奴隷貿易の最盛期は十八世紀と言われる。十六世紀は90万人、十七世紀は300万人、十八世紀は700万人、十九世紀は400万人が売買された。概算1500万人・・・ひとりの奴隷を大陸に連れていくまでに5人の奴隷が途中で死んだ、との恐るべき報告もある。そうすると、働き盛りの黒人が、奴隷として1億人近くが連れ去られたことになる・・・これを大罪と言わずなんと呼ぶのか。

オーストラリア

オーストラリアは1700年代までは先住民族アボリジニ約30万人が暮らす平和な土地であった。

ところが1770年、キャプテン・クックが上陸するや、先住民を無視して「英国領」を宣言する。そしてイギリスは1788年、流刑囚1473人をオーストラリアに移住させたのだ。そこからアボリジニの地獄が始まる・・・

それからもイギリスからくる移民は本国に居れないならず者が多かった。通常の道徳心など持ち合わせていない。彼らにとって現地のアボリジニは野獣、野犬や野ネズミと同様、考慮に値しない存在として虐殺が始まる。動物狩りと称してアボリジニ狩りが公然と行われたのだった・・・

こうして最初の入植から100年後にはアボリジニは6万7千人に激減したのである。実に23万人もの大虐殺。中でもタスマニア島のアボリジニは最もひどく虐殺された。3万7千人いたアボリジニはわずか44人になってしまった・・・

アメリカ

1620年、メイフラワー号に乗った移民が北米大陸に上陸する。それから100年間、入植者はインディアンの土地を奪いながら西進を続けていった。

当時、北米に進出してきた白人はイギリス・フランス・スペイン人であった。だが、フランス人は毛皮にしか興味がなく、スペイン人は黄金であった。そのため先住民の虐殺は得策でなかった(働き手として必要)。
しかし、イギリス人は土地に興味を示したのだ。イギリスで食い詰めた入植者はアメリカに行けば土地を手に入れることができるという移民斡旋業者の宣伝に大きな夢を膨らませていた。
ところが実際に行ってみるとそこには先住民が住んでいるではないか!ここにおいて先住民であるインディアンとの土地争奪戦が始まるのである。
そもそもインディアンは土地所有という概念がなかった。そこで無理やり契約書に署名させ、合法と称し土地を奪っていった。また、邪魔になったインディアンに対し、移住法を制定し、 強制的に 何もない土地に移住させたりした。そして移住先の土地が資源の宝庫であるとわかると、たちまちその土地から立ち退かせたりもした。
インディアンは度重なる約束違反に激高する。白人がインディアンの命綱であるバッファローを面白半分に打ち殺すに至って、インディアンの反発が戦闘に転化し、凄惨なインディアン戦争が至る所で繰り広げられた。

コロンブスが到達した頃、北米の先住民は200万~500万人でその90%は現在のアメリカ合衆国に住んでいた。それが1890年頃にはわずか35万人まで激減したのだ。少なく見積もっても160万人、最大で460万人が命を落とした・・・

このような大罪を犯した欧米白人達に反撃ののろしを上げたのが日本であった。戦争には敗北したが、その目的、植民地の独立と有色人種の地位向上は達せられた。

次はアメリカの他国に戦争を吹っ掛ける常套手段と日本の奮戦を見てみよう。
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