とうさん、がんばるぞ!  日本大好き「とうさん」の子育て奮闘記&もろもろ。

【日本を知ろう】国體17 天壌無窮を支えたものⅤ 鎖国~日露戦争

  • 2019年10月31日
  • 2019年11月4日
  • 國體
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情報収集

前回、日本は全世界で繰り広げられていた白人キリスト教徒による侵略から日本を守るため“鎖国”政策を採ったことをみてきました。日本は鎖国政策を採りながら、しかし、西欧列強の行いをしっかり情報収集していました。
(前回未読の方はこちら

鎖国から開国

当時の日本は西欧列強との技術力(=軍事力)の差を理解していた。1853年に黒船が来航するわけだが、その10年も前にアヘン戦争があり、アジアの大国である清がイギリスに敗北しているのである。その事実を知っていた日本は改革が必要であることを痛感していた。

1700年後半からロシア等の外国船が日本に開国を迫っていた。そこへ黒船による脅しが来たのである。開国・攘夷で国論を二分する中、またショッキングな事件を耳にする。

アロー戦争(第二次アヘン戦争:1856-1860)で英・仏連合軍に清が敗北し、清の半植民地化が決定したのだ。また1860年にはロシアの南下政策がより進み、不凍港であるウラジオストックを獲得する。そして当時の日本人は「ウラジオストック」とは「東方を支配せよ」という意味であることも理解していた。

危機感が最高潮となった日本ではいよいよ明治維新へと舵が切られることになる。1867年、大政奉還・王政復古がなり、それから戊辰戦争を経て、日本は西欧文明を取り入れ列強に負けない国づくりに邁進したのである。

富国強兵・殖産興業

日本の自主独立を保持するために日本は富国強兵・殖産興業に励んだ。そして国力をつけていく。極東の島国である日本はなんとか自主独立の目処が立ちそうと思われた。そんな中、西欧列強からの脅威を強く感じるのが朝鮮半島であった。

朝鮮半島が西欧列強に植民地化されたとしたら、日本とは目と鼻の先、朝鮮半島を拠点に日本侵攻される恐れも考えられた(実際に中世の危機“元寇”は朝鮮半島経由であった)。

そこで朝鮮半島に目を向けると近代化もままならぬ旧態依然とした支那の属国がそこにあった。しかし愛国を志す志士も少なからずいた。そして朝鮮半島の独立を促すため、日清戦争を戦い、勝利をおさめる。

これで朝鮮半島独立に向けて動き出すと思いきや、朝鮮民族の事大主義(大国に尻尾をふる。大陸と地続きの朝鮮半島はそうすることで生き延びてきた)が顔をだし、三国干渉で遼東半島の割譲を勝ち取ったロシアに尻尾を振る勢力がでてくる。

日露戦争

これをきっかけにロシアの南下がさらに強まり、いよいよ日本の自主独立が脅かされかねない事態にいたる。対ロシア宣戦布告の詔にも

「我が国の安全保障には朝鮮半島の存亡が大きな影響を及ぼすが、ロシアが満州まで南下し軍を引かず、朝鮮半島を望まんとすべきは東亜の平和を壊す行いであり、何度も話し合いで解決しようとしたがそれにも誠実に答えようとせず軍備を増強するに至っては開戦に至ることやむなし」

とのことが書かれている。

臥薪嘗胆を合言葉に国力の増大と技術革新を成し遂げ、そして知恵と創造力にて新兵器(下瀬火薬)や新戦法(騎兵隊が騎馬を降りて戦う)を生み出していた。そしてその成果を惜しみなく投入した。

また、祖父や曽祖父は将来を銃後に託し、ここを死に場所と決意し、まさしく命を懸けて戦った。そしてついに世界の大方の予想を覆し、小国日本が強大なロシアを打倒した。祖父や曽祖父は命を懸けて國體を護ったのである!

世界の価値観は一変した。有色人種が白人列強の大国に勝利したのである!これにより、西欧列強に収奪されていた植民地諸国は大いに自主独立へ勇気づけられた。

このように日本は明治維新から日露戦争まで、駆け足で駆け抜けました。その後の日本はどういう行動をとったのでしょう。次回をお楽しみに!

次回!【日本を知ろう】国體18 天壌無窮を支えたものⅦ 日露戦争後

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