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【日本を知ろう】国體5|神武天皇の詔と平和思想|八紘一宇とは

  • 2019年9月23日
  • 2019年11月4日
  • 國體
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即位建都の詔

前回(未読の方は『こちら』)、神武天皇による『即位建都の詔』(建国の詔)を説明しました。もう一度みてみましょう。

大約すると、前半で国民が一番大事(おおみたから)であること、そして国民の利益になることが大前提とする、「民利政治」の原則を謳っています。後半では政治を行うものは神々の徳を受け継つぎ国民には皇孫の正しい心や行いを広め、共に良い国を創っていこう。そののちに、この都を中心に日本全土を統一し、さらにその心が世界中を掩(おお)って、一つの家のようになり、すべての生命が家族のように仲睦まじく暮らすことは素晴らしい、と述べられています。(原文を載せておきますので読みたい方はどうぞ)

「夫(それ)大人(ひじり)の制(のり)を立て、義(ことわり)必ず時に従う。苟(いや)しくも民(おおみたから)に利(くぼさ)有らば何んぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)わん。且つ当(まさ)に山林を披(ひ)き払い宮室(おおみさ)を経営(おさめつく)りて恭みて宝位(たかみくら)にのぞみ、以って元元(おおみたから)を慎むべし。
上(かみ)は則(すなわ)ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまいし徳(うつくしび)に答え、下(しも)は即ち皇孫(す めみま)の正(ただしき)を養いたまいし心を弘(ひろ)めん。然して後に六合(りくごう)を兼ねて、以って都を開き、八紘(あめがした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為すこと亦可(し)からずや」

八紘一宇(はっこういちう)

この後半を称して「八紘一宇」と呼びます。
この「八紘一宇」は敗戦後の東京裁判にて『軍国主義・侵略戦争正当化のスローガン』とされました。これに対しては、強く否定します!

まず東京裁判ですが、全く裁判の体をなしていない戦勝国のプロパガンダ、茶番劇です。当のアメリカやイギリスでも最近では否定する主張も散見されます。歴史の事実が明らかになれば日本による「侵略」などという戦勝国史観は覆されることでしょう。

多国間が共有する歴史には当然幾通りもの見方が存在します。欧米から見れば自分たちが利益を得ていた植民地を奪ったのだから、当然「侵略」でしょう。しかし、植民地から見れば「植民地支配からの解放」という面が大きかったことも事実なのです。視点を変えれば事実の見方は変化するのです。日本から見た見方も当然存在します。日本人は、日本の歴史に「虹」をかける歴史観を持てばよいのです!

「知る」ことの大切さ

この、「歴史の事実」を「知り」そこから各自がどうそれを理解し、自分のものとするか、が「日本を知ろう」を書いている理由です。
どう考えるかは個人の考えがそれぞれあってよいのです。しかし「知る」ことこそが大切であり、情報がなければ正しい判断は下せません。「日本を知ろう」にはとうさんが調べた事実と思われることを載せています。現在はネットを使えば誰でもが様々なことを調べられます。また本もたくさん出ています。とうさんの情報を疑わしいと思えば、それぞれが調べ、そして自分の考えを持ってもらえばそれで良いと思っています。また、一つの事実に関する“受け取り方”も人それぞれで良いのです。

もう一度「八紘一宇」

さて、話が逸れました。「八紘一宇」についてですが、神武天皇の詔を読めばその意図するところはおのずとわかるのではないでしょうか。世界征服をするなどと書かれてはいないことはすぐわかるでしょう。
「国民を大切にし、国民の利益となる政治をし、天皇自らが祖先の徳を受け継ぎ、日本を治める皇孫が正しき心を養い、その心をひろめる。このように日本を治め、そしてその心が世界にも広まり、世界中が家族の様に暮らしていけると素晴らしいな」と宣言されているのです。
この精神こそが建国当時から受け継いできた『国體の要』です。この精神は明治天皇の「五箇条の御誓文」「教育勅語」にも生きています。

ユダヤ人救出と八紘一宇

皆さん杉原千畝(すぎはらちうね)という人物を知っていると思います。映画にもなっているので観られた方も多いでしょう。日本の官僚、外交官で、第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任しており、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情し、大量のビザ(通過査証)を発給、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られています。その避難民の多くが、ユダヤ系であったとも言われています。

なぜユダヤ系が多かったのでしょう。ご存じのとおり、ナチスがユダヤ人への迫害を政策として推し進めたからですね。日本とドイツは同盟国、ですからドイツは日本にもユダヤ人迫害政策に協力してくれと依頼しました。日本政府はどうしたと思いますか?

ドイツに頼まれた日本はどうするか話し合いました。
そして、昭和13年12月6日に「猶太人対策要綱」を出します。

「猶太人対策要綱」
昭和十三年十二月六日附 五相会議決定

独伊両国ト親善関係ヲ緊密ニ保持スルハ現下ニ於ケル帝国外交ノ枢軸タルヲ以テ盟邦ノ排斥スル猶太人ヲ積極的ニ帝国ニ抱擁スルハ原則トシテ避クヘキモ之ヲ独国ト同様極端ニ排斥スルカ如キ態度ニ出ツルハ唯ニ帝国ノ多年主張シ来レル人種平等ノ精神ニ合致セサルノミナラス現ニ帝国ノ直面セル非常時局ニ於テ戦争ノ遂行特ニ経済建設上外資ヲ導入スル必要ト対米関係ノ悪化スルコトヲ避クヘキ観点ヨリ不利ナル結果ヲ招来スルノ虞大ナルニ鑑ミ左ノ方針ニ基キ之ヲ取扱フモノトス
方針
一、現在日、満、支ニ居住スル猶太人ニ対シテハ他国人ト同様公正ニ取扱ヒ之ヲ特別ニ排斥スルカ如キ処置ニ出ツルコトナシ
二、新ニ日、満、支ニ渡来スル猶太人ニ対シテ一般ニ外国人入国取締規則ノ範囲内ニ於テ公正ニ処置ス
三、猶太人ヲ積極的ニ日、満、支ニ招致スルカ如キハ之ヲ避ク、但シ資本家、技術家ノ如キ特ニ利用価値アルモノハ此ノ限リニ非ス

日本政府はこのように、ユダヤ人を人種平等の精神に鑑み差別しない、という判断を下します。そのため、大東亜戦争開始前まではこの要綱に準じてユダヤ人に対して接しています。
杉原千畝の映画では、“政府の命令に反して”ユダヤ人を彼の判断で助けたかのように宣伝されていますが、そうではありません。政府自体がどの人種も差別しないことを決めていたのです。長くなりましたので続きはまた次回に。

この「人種差別をしない」という国是は神武天皇の建国の詔に述べられている「八紘一宇」の精神を受け継いでいるからこそであり、当時の政府をして「国是」とまで言わしめているのです!これも次回に資料を提示して説明しますね。

次回、國體6はこちら↓↓↓

日本の歴史に『虹』を見たいなら、とうさんが敬愛する渡部昇一先生の遺した偉大なる歴史書をどうぞ↓↓↓

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