とうさん、がんばるぞ!  日本大好き「とうさん」の子育て奮闘記&もろもろ。

【日本を知ろう】國體13 天壌無窮を支えたもの|先人達の努力

  • 2019年10月14日
  • 2019年10月17日
  • 國體
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我が国の「國體」

前回、我が国の政治形体は変化していったが、國體は変化しなかったこと、そしてこの國體である限り、どのような政体に変わったとしても、国民を政治権力者の好きにすることができない、大変すばらしい制度だということを述べました。
(前回を読んでない方はこちら

ではなぜこの國體が今日まで延々と続いているのでしょうか。今回はこれについて考えてみたいと思います。

とうさんの考える、我が国の“國體”は、

1. 万世一系の天皇が治めるこの国は、未来永劫栄えること
2. 天皇を中心とし、国民を大切な宝とし、国民の利益にかなう政治を行うこと
3. 日本人として徳の道を窮めること

 でした。1は天壌無窮の神勅からきていると言いました。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原(たかまがはら)から地上へ使わされる(天孫降臨)際、天照大御神から賜った言葉です。

ではその言葉を守り、現在まで万世一系(神武天皇に繋がる血筋の者が天皇になる)を続けている、だからこそ日本は続いているのでしょうか。

天壌無窮を守ってきたもの

万世一系を頑なに守ってきたから、日本は続いているのでしょうか。

違います。明らかに違います。それでは今の憲法9条信者の思想となんら変わりありません。「憲法9条で武力を放棄し平和を求める憲法を持っているから平和なのだ~~」などと恥ずかしげもなく叫ぶ、お花畑連中と一緒になってしまいます。

なぜ続いているか。それはこの國體を保持することが、国民の安寧に繋がることを信じ、それを守るため命を懸けた先人たちがいたからです。そしてその精神は教育勅語の“十二の徳”の十二番目に明確に述べられています。十二番目の徳は次のようなものでした。

「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」

わかりやすくいうと、「国家の危機があれば、正義をなす勇気を持って公のために働き、永遠に続くとされる國體の維持を図るべし」となります。

戦後の反日日本人はこれをもって「天皇の存続のために国民に戦争へ行けと言うとんでもない言葉だ」といいます。なにも歴史から学んでいない、記紀すらも読んでいないのでしょう。天壌無窮の皇運を扶翼すべし=我が國體を守り抜き、国民に幸せをもたらす、素晴らしい国であり続けるぞ!なのです。

だからこそ我々の祖父・曽祖父は大東亜戦争を戦い抜いたのです。そして未来の日本を信じればこそ、自らの身を犠牲にしてまでも、最後まで戦い抜いたのです。そして我々、未来の子孫に託したのです。

蕾(つぼみ)にて 散るもまたよし桜木の
 根のたゆること なきをおもえば

という辞世の句を残して散華された特攻隊員のこころを想うと涙が止まりません。皆さんはどう捉えるでしょうか。とうさんは、根とは我が國體と理解しています。我々子孫に未来を託し、散華されたのです。

日本の独立宣言

さて、我が国はどのようにして国體を守ってきたのでしょう。

まず、日本が自主独立の道を歩むことを公に示した最初は聖徳太子による隋の皇帝煬帝に送った親書からです。「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日いずるところの天子、書を日の没するところの天子にいたす。つつがなきや)ですね。これ以降、支那王朝の冊封(支那は周りの国すべてを自分の配下と考えていた)から脱し、独自の道を歩むことになります。

最初の国難

國體に難が訪れたのは弓削道鏡(ゆげのどうきょう)によるものでした。道鏡は皇位を狙った事件を起こします。道鏡は奈良時代の法僧宗の僧であり、女性天皇である孝謙天皇(重祚して称徳天皇)に仕え寵愛を受けていました。

道鏡は「道鏡を皇統につければ国家は安泰である」とのお告げがあったとし、自らが天皇になろうとします。しかし称徳天皇はさすがに重大なことなので信頼できる家臣である和気清麻呂(わけのきよまろ)に神勅をもらってくるようにお命じになります。

そして和気清麻呂は、「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし」(皇統にはその血筋の者をあてるべきである。他の者をつけてはならない)との神勅を持ち帰り、称徳天皇へ報告します。

当然権力の絶頂にあった道鏡は怒りまくり、和気清麻呂を別部穢麻呂(わけべ の きたなまろ)と改名させて大隅国(現在の鹿児島県)に流罪とします。和気清麻呂は道鏡に反対すれば命さえ危ういことくらいは承知の上だったはずです。しかし自分の命をも危険にさらし、役目を全うしました。

そして道鏡はやはり鹿児島に行く途中々々に刺客を放ちました。しかしその都度“猪”の群れが清麻呂を守ってくれたそうです。戦前の十円札には和気清麻呂の肖像画と裏には猪が描かれていました。

その後、権力は徐々に藤原氏へと移っていき、藤原道長の時代に絶頂期を迎えます。その後も政治の権力者としては平氏、源氏、北条氏、織田家、豊臣家、徳川家へと移っていきますが、そこでは天皇の「権威」を犯そうとするものはありませんでした。なぜでしょう。

この問いの答えは次回↓↓↓に譲ります。
【日本を知ろう】国體14|天壌無窮を支えたもの|権威と権力

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