古事記が示す日本の成り立ち
さて、今回は古事記が示す日本の成り立ちについて。
古事記によると、日本国土の成り立ちは概ね次のように書かれています。ま、昔話だと思って気楽に読んでくださいな。
『世界がまだ混とんとしている時、ふいに天と地がわかれ、天に神様がお立ち(お生まれ)になりました。次々に五柱(神様は一柱、二柱と数えます)がお立ちになり、この五神を別天津神(ことあまつかみ)といいます。次に神代七代(かみよななよ)(最初の二代(二柱)は独り神、次の五代(十柱)は夫婦神)がそれぞれお立ちになりました。その一番最後の夫婦神が、
伊耶那岐命(イザナキノミコト)、男性、日本書記では伊弉諾神
伊耶那美命(イザナミノミコト)、女性、日本書記では伊弉冉神
の二柱です。この夫婦二人で力を合わせ、まだ泥のような地上に天沼矛(あまのぬぼこ)を差し入れて「こおろこおろ」とかき混ぜると、そのしずくから日本最初の島である「おのころ島」が生まれました。そしてその島に立ち、本州や九州、四国といった大八島(おおやしま)をお産みになりました。そしてお二人でさまざまな神様をお産みになられます。最後に火の神をお産みになった時やけどを負ってしまい、イザナミノミコトがお亡くなりになります。イザナキノミコトは黄泉の国に行ってしまった妻に一目合いたいと、地上と黄泉の境に行き、イザナミに会いたいと伝えます。しかし、イザナミノミコトが「黄泉の国を治める神に聞いてきます。待っていてください」というのに待ちきれず黄泉の国に入って行ってしまいました。そこでイザナキノミコトが見たものは、うじがわき腐乱した妻の姿でした。命からがら逃げかえってきたイザナキノミコトは穢れた体を清めるため禊(みそぎ)を行います。そこでさまざまな神がお生れになるのですが、最後に顔を洗った際、左目から天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、右目から月読命(つくよみのみこと)が、鼻から建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)がお生れになりました。左目からお生れになった天照大御神は光り輝くまばゆい姿をしておられたのでイザナキノミコトが「お前は天上界を治めなさい」とお命じになられました。
古事記に見られる「教訓」
ここまでが、天上界を治める一番貴い神様、天照大御神がお生れになるまでのお話。かなり短くまとめたので詳しくは古事記の訳本などをご確認ください。ここまでの中にもいくつも教訓となる話や古来からの考えがわかる記述がみられます。
教訓①「まぐわろう」
例えばちょっとエッチな話になりますが、イザナキノミコト・イザナミノミコトがおのころ島に降り立った際の最初の会話をみてみましょう。
「汝(な)が身はいかに成れる」と問ひたまへば、答へたまはく、「吾(わ)が身は成り成りて、成り合はぬところ一處あり」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐命(いざなぎのみこと)詔(の)りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り餘れるところ一處あり。故(かれ)この吾が身の成り餘れる處を、汝が身の成り合はぬ處に刺し塞(ふた)ぎて、國土(くに)生み成さむと思ほすはいかに」とのりたまへば、伊耶那美命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。
大約すると、『「あなたの身体はどうなっているのか?」とイザナキノミコトが問うと、「私の身体はほぼ完成しているが、一ヵ所だけなり合わぬところがあります」と答えるイザナミノミコト。イザナキノミコトは「私の身体もほぼ完成しているが一ヵ所だけなり余るところがある。では私のなり余るところであなたのなり合わぬところを塞いで国を産んでみてはどうか。」というと、イザナミノミコトは「よいことですね」と答えました。』と言っています。
これは我が国では昔から男女が対等(男と女の特徴はあるがその違いを認めて尊重し合う)であり、お互いに協力し良いものを創っていくことを示しているものであると考えられます。今でいう「男女共同参画」ですね。いまさら言われなくても古事記に載っているのです!
そして、子供を授かることは神に祝福された行為の結果であること(神と同じ行為によって成されること)、このことは非常にありがたいことです。
教訓②約束は守ろう!
さて、イザナミノミコトが火の神をお産みになり、その結果亡くなってしまう。火の神を産み、亡くなることは「産褥熱」を暗示していると思われます。抗生物質のある現在でこそ「産褥熱」で亡くなる妊産婦は激減していますが、医療が進んでいなかった時代には妊産婦死亡の最も重要な原因とされていました。これだけ医療の進んだ現在でも出産に伴う危険は残っています。昔はもっと大変だったことでしょう。この話では出産の困難さと無事産まれてくることに対するありがたさや感謝が読み取れます。また、遺された者の深い悲しみも読み取れることでしょう。
また、イザナミノミコトが「待っててね」と言ったのに、イザナキノミコトが禁を破り覗いてしまい、とんでもないものを見てしまう話も出てきます。これは鶴の恩返しの「のぞかないでください」や浦島太郎の「この玉手箱、開けちゃだめですよ」といった、禁を破ると良くないことが起こること、と同様の教訓ととれます。特に、女性の秘密、は覗いてはダメってことですね。今風にいうと、相手の携帯をこっそりみても決して良いことにはならないよ、ってな感じですか。現代でも通用する真実であると思いませんか(笑)
今回も横道に逸れ過ぎて話があまり進みませんでした。けど、古事記には現代に通じる「真実」がさまざまちりばめられていることを理解していただけたのではないでしょうか。
これはとうさんの読み方。とうさんは古事記をこう読むよ、ってこと。それぞれの読み方があってよいのです。しかし一番重要なことは「知る」ということです。知っていればこそ、そこから自分の考えを持てるのです。
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