前回の復習
日本は全く勝ち目のない無謀な戦争に飛び込んでいったわけではなかった。勝つための大戦略を持っていたのだ。ただ、初戦の大勝に目がくらみ、当初の戦争計画を大幅に変更してしまう。それも「法則」を無視した形で・・・それでも日本兵は正々堂々と戦った。
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だが、アメリカはどうだっただろうか。
日本の皇軍
日本人は天皇陛下の赤子であり、日本の兵士は誇りある「皇軍」であった。
したがって、戦地でも日本人としての誇りを失わぬよう行動した。世界の中でも飛び切り規律正しい軍隊であったのだ。
マニラ攻略を成した第14軍司令官本間雅晴中将は、マニラ入場にあたり将校800名を集めて1時間に渡り「焼くな。犯すな。奪うな」、違反したものは厳罰に処すと訓示を行い、将校は各部隊に戻ると兵に軍司令官の訓示を伝えた、という。何万人もの大部隊である。不心得者が数人いても不思議ではない。ただ、それをも避けるべく、中将は1時間にわたる訓示を行ったのである。
これがロシア兵や支那兵であると、略奪・強姦が当たり前であった。むしろそれが戦争に勝ったご褒美だったのだ。アメリカ兵も平気で現地人を犯した。日本でも占領当時、相当数の強姦事件が起きている。それを取り締まっていた特高警察は3ヵ月で解散させられた・・・その後、何が起きていたかは闇の中だ・・・
アメリカの反撃
大戦略から逸脱した日本に、戦闘における法則「戦力は距離の2乗に反比例する」が容赦なく襲い掛かる。ミッドウェイ海戦ではそれまで海戦を優位に進めてきた航空母艦4隻、艦載機289機を失った。ガダルカナル島ではミッドウェイの約3倍の航空機が、また兵員の死者・行方不明者は2万名にも及ぶ。また、その3/4の1万5千名が餓死であった。日本からはるか4000キロ、6000キロも離れた場所での戦闘・・・その無謀な戦闘を行った結果がこれであった。
これを機に、アメリカは日本に対し大攻勢を仕掛けてくる。大物量作戦だ。島を攻めるにもまずは艦砲射撃や爆撃により爆弾の雨を降らす。その後、上陸し残存兵力を殲滅するのだ。
しかし、これは戦場で行われた正当な攻撃だ。日本もそれを見越し、ペリリュー島や硫黄島では洞窟陣地や地下坑道による抵抗を試み、アメリカに大損害を与えている。
アメリカの非人道攻撃
硫黄島を勢力圏に収めたアメリカは日本に対し無差別爆撃を行う。東京大空襲では10万人を超える罪なき民間人が犠牲となった。アメリカは、戦略目標となる軍事目標を狙った、日本は当時家内工業システムをとっており、一般家庭も戦略目標となりうる、との詭弁を弄した。が、第一次世界大戦後の1922年、ハーグ空戦規則が採択されており、軍事目標以外の民間人の損傷を目的とした無差別空爆は禁止されていた。だが、アメリカはそんなことお構いなしに、日本全国に向け無差別爆撃を展開する。その死者は東京も含め日本全国で56万人にも達した。
そして極めつけは原子爆弾。これは明らかに実験のために落とされたと見てよい。なぜなら、原爆の目標投下予定地点だけは通常爆撃がなされていなかったのだ。また、広島と長崎に落とされた原爆の種類が異なることも実験的要素が含まれていると見てよいであろう。広島と長崎の原爆により、実に30万人もの無辜の民の命を奪ったのだ。
アメリカの非人道攻撃によって日本の民間人、実に80万人もの命が犠牲になった・・・。
ポツダム宣言受諾
8/6に広島、8/8にソ連の宣戦布告、8/9に長崎に原爆を落とされるという状況に至り、日本はポツダム宣言を受諾することになる。ただ、ポツダム宣言は有条件降伏である。日本軍の無条件降伏は謳われているが、それ以外は条件付きの降伏勧告なのだ。
しかしアメリカは無条件降伏のごとく振る舞った。検閲を行い、日本人の言論の自由を奪った。そしてメディアに対し30のプレスコード(GHQに対する批判、GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判、東京裁判への批判、アメリカへの批判、朝鮮人への批判、・・・など30項目に渡る)を敷き、言論を統制した。そして日本の歴史教育を歪め、日本人を精神的に葬ろうとした。
これらは明らかに国際法違反。特に戦勝国が敗戦国の法体系に干渉するのはハーグ陸戦条約違反である。このようなことは文明国の行うことではないのだ。西郷隆盛が喝破したように、やはり西欧白人は野蛮人であったようだ。その影響を日本はまだ強く受けている・・・
次回はラスト。戦後の日本とアジアの独立、そして子供達に向けて。
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