とうさん、がんばるぞ!  日本大好き「とうさん」の子育て奮闘記&もろもろ。

【素晴らしい国、日本】時代を切り開いた漢|織田信長の先進性と保守性

戦国時代を終わらせた漢

織田信長。戦国武将人気ランキングでも常に上位を維持する英傑だ。信長は異端児とよく言われる。確かに従来の規範を打ち壊す、強い改革突破力があった。その反面、伝統を重んじる保守の一面も持ち合わせていた。

兵農分離の経済的問題

信長と言えば兵農分離、城下町の整備、楽市楽座、そして三千丁とも言われる鉄砲隊の編成等、その先進性が取りざたされる。しかし、それを成し遂げるためには莫大な「銭」が必要であった。
旧来、戦力と言えば半農半士であった。財政基盤が農業に依拠していた時代、戦争のない時は農業を行う。田畑を耕し年貢を納め、戦時には兵士として戦う。そして戦闘は農業に影響のない季節に行われていた。有名な桶狭間の戦いがあったのも現在の暦で言えば1560年6月12日。つまり田植えが終わったばかりの農閑期だ。

しかし信長は兵農分離に近い施策を取り、いつでも兵士を動かせる体制を敷いていた。兵士を養うには「銭」が必要だ。半農半士であればそれほどでもない(武士としての給金も与えるが、農民としての年貢もとれる。いってこいでそこまで負担は生じない)。しかし専業武士(こんな言葉があるのか知らないが笑)であれば・・・さらにそれが千人単位となれば経済的負担は相当なものだったはずだ。その「銭」を信長はどこから得ていたのか。

信長の経済的視点

それは父である織田信秀の経済施策を踏襲している。祖父の時代から伊勢湾の湊を抑えていた織田家は海運及び商業に明るかった。父信秀の時代、尾張は発達した湊(津島湊、熱田湊)を有し、そこから上がる利益は莫大なものだった。同時期、上杉家が持つ直江津や柏崎からの利益が60億といわれている。織田家もそのくらいは信秀の頃からあっただろう。信長はさらに施策を進め、楽市楽座などの「商業」を活発化させた。この施策が何を生むのか。湊の収益大幅増である。この経済力を持ってして、初めて信長の先見性が現実のものとなるのだ。

1500年代後半の欧米

16世紀の戦争は火器の導入によりその形態が大きく変化した。騎馬中心であった戦闘から小火器(銃)を前面に配置し、後方から砲で援護する形態へと変化した。ヨーロッパで銃が集団戦術として初めて用いられたのは1594年オランダ独立戦争の時である。そして盛んに用いられるようになるのはもっと後年、1618年から始まる三十年戦争からだ。

長篠の戦い

信長が鉄砲による集団一斉射撃を取り入れた戦いとして名高い。これは1575年のことである。信長の史実をもっとも忠実に描くとされる太田牛一の「信長公記」によると「鉄砲をさんざんに打ちまくった」とある。信長が火縄銃の欠点を補うため、三段戦法をとったとの話は江戸時代に創作された話との説もあるが、信長が大量の鉄砲を使用した戦術をとったことは事実であり、やはり先見性がずば抜けていたと言えよう。なぜなら、先も述べたようにヨーロッパでこの戦法が初めて取られたのが20年後であること、盛んに用いられるようになったのは40年後のことであるからだ。

旧来の陋習を破る

明治天皇の「五箇条の御誓文」に次のようにある。「旧来の陋習(ろうしゅう)を破り、天地(あめつち)の公道に基づくべし」
明治という変革が必要な世で、維新の志士たちはまさに次々と「旧来の陋習」を破っていき、新たな世を創り上げた。同様に戦国の世で乱れに乱れ切った日本をまとめ直すには「旧来の陋習」を打ち破っていかねばならなかったのであろう。信長もその言葉通りの行動をとった。

比叡山焼き討ち

仏教は用明天皇の御代に伝来して以来、神道と共に日本の宗教としてなくてはならない存在であった。しかし、当時の叡山僧侶は乱れに乱れ切っていた。また、武力を有し実力をもってして信長に対抗してきた。何度もの和解提案にも耳を貸さず、ついに信長に焼き討ちされるという結果に至る。信長は仏教の総本山の一つを壊滅させることで、日本再統一に向けた強い野心を内外に知らしめた。少し効きすぎ敵が多くなりすぎたため、正親町天皇に仲裁を頼んだりもしている。

信長の保守性

仏教寺院を焼き討ちにし、僧侶を多数屠った信長になぜ正親町天皇は協力したのか。それは信長の父、信秀の代からの敬神尊王の念にある。念だけでなく、実際に莫大な寄進をなし、朝廷からの信頼に篤かったのだ。信秀の代には伊勢外宮に700貫(7千万ほど)寄進し、伊勢神宮の式年遷宮を復活させている。また、内裏築地の修理費に4000貫(4億ほど)を寄進し朝廷を助けた。信長の代にも内裏の修繕に始まり、紫宸殿、清涼殿、内侍所などを次々と竣工した。
このように信長はその財力を日本の精神的支柱である皇室の維持にも存分に使ったのだった。それはまごうことなき日本の精神、敬神尊王の精神によるものであろう。旧来の陋習を破る破壊者でありながら、同時に日本の要である皇室は守り抜くという保守性を持った人物、それが織田信長であった。

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