ユダヤ人に対する戦時国策
前回の話の最後に杉原千畝について述べました。
(前回、お読みでない方は【こちら】)
映画の宣伝では“政府の意向に反して”という見出しが躍ります。しかしそれは確信的な印象操作がなされているように思います。政府の意向に反してユダヤ人を救ったのかー、と解してしまう人がほとんどではないでしょうか。
そうすると日本政府はユダヤ人を排斥する方針であったかのように捉えられてしまいます。そうではないことは前回資料として上げた“猶太人対策要綱”をみれば明らかです。日本政府はユダヤ人を差別しないことを宣言しています。
では杉原千畝の話は嘘でしょうか。いや、あれは本当にあった素晴らしい出来事です。
本当のところは政府も苦しんでいました。猶太人対策要綱を発する2ヶ月まえ、近衛外務大臣から在外公館長への訓令「猶太避難民ノ入國ニ關スル件」(昭和13年10月7日付)が発令されています。そこには「ユダヤ人の日本やその植民地への入国は好ましくない。(ただし通過はこの限りではない)」と書かれていました。
訓令では「入国は好ましくない」といい、要綱では「人種平等の精神に鑑み差別しない」という。訓令と要綱の相反する点を、当時の日本政府はユダヤ人に対し、対外的には差別しないと言っておきながら内実は差別していた、との論調をもって当時の日本政府を批判する人もいます。
しかしこれも、要綱がでた日付と訓令がでた日付を知れば明らかでしょう。日本としてどうするか迷っており、外務大臣は一度そのような訓令を出したが現状では欧州の日本公館にビザを求めてくるものが絶えず、見直しを求める声も多数上がり、その後、五相会議(内閣総理大臣・陸軍大臣・海軍大臣・大蔵大臣・外務大臣)にて日本政府として猶太人を差別しない旨の決定が下ったのです。訓令が発せられたのが昭和13年10月7日、要綱が発令されたのは昭和13年12月6日です。
さて、話をもとに戻します。
杉原千畝が行った、“政府に反して”とはどういった行為でしょうか。そもそも杉原千畝が出したのは日本通過ビザでした。日本政府は日本通過ビザを発給する際はその人物が日本に留まることの無いよう、受け入れ国の許可証とそこまでの旅費を持っていることを発給条件としたのです。しかし難民ですから許可証や旅費も持っていません。そのような行き先不明の者が通過ビザを持って大量に送られてくる、そのことに対して発給をやめよ、と言ってきたのです。日本の入管としては当然のことです。しかし杉原千畝は“人道上やむをえぬ”との判断でビザを発給し続けます。日本政府も杉原千畝も正しい行いをしているのではないでしょうか。
プロパガンダに負けるな
このように戦後はさまざまなところで大東亜戦争当時の日本政府や大日本帝国陸海軍をことさら“悪”とする論調に支配されています。これこそGHQの占領政策に基づくプロパガンダです。その占領政策は実に巧妙で日本人は現在すっかり骨抜きになり、自虐史観に支配されたままです。特に陸海軍に対しては悪のイメージを持っている人も多いのではないでしょうか。
陸軍と海軍を一緒にまとめて“軍部”とする向きもあります。当時そのようなまとまりのある“軍部”など存在していません。それがあれば大東亜戦争に勝てたでしょう。陸軍と海軍が予算の取り合いをし、予算を確保するために陸軍は北進し、海軍は南進していったのです。こうした官僚的な覇権争いが敗戦の原因としてあったのは確かです。その事実を知り、教訓を得て、改善する努力が必要です。しかし日本は本当の意味での大東亜戦争の総括をしていません。戦前は悪い国だったとの自虐史観に染まることで事実から目をそむけているだけです。ゆえに現在でも各省庁は予算の取り合いをし、国民のことより省益を優先し、亡国まっしぐらです。
事実を知り、自ら考え、素晴らしい行いには素直に先人の偉業を称え、日本に誇りを持つ、こうして初めて対外的にも「日本人としてはこう思う」と自信をもって発言が出来、国際社会に認められる存在となりうるのです。
ユダヤ人救出劇の真実
杉原千畝が通過ビザを発給したことは人道的にも正しいことであったと賞賛されています。しかしながらそれらを結果的に助けた陸軍に関しては映画になることもありません。
そこにあった事実をみてみましょう。
杉原ビザを手に入れたとしても当時の状況ではシベリア鉄道を使って極東へ抜け、そこからアメリカ等へ行くしか手がありませんでした。シベリア鉄道から満州を抜けるにはオトポール駅で降り、そこから先は満州鉄道を使用し、日本へ抜けるしかありません。当時満州国は独立国ではありましたが日本(関東軍)の影響を受けていました。陸軍が反対すれば先へは進めません。日本はどうしたのでしょう。
事実として、オトポールに留まっていたユダヤ人を樋口季一郎(陸軍軍人)の判断で救ったのです。興味があれば調べてみてください。樋口季一郎・オトポールでググればでるでしょう。こうした満州での陸軍の正しい動きがあったからこそ杉原ビザも活きたのです。この事実も杉原千畝の偉業同様日本人は知っておくべきだと思います。
日本の「国是」
前回「猶太人対策要綱」をみました。これは五相会議で決まったのですがこの決定には安江仙弘(のりひろ)陸軍大佐の案を取り入れた板垣征四郎(陸軍大臣)の進言が大きく影響しています。戦後“悪”の代名詞のように言われている陸軍から、人種平等の精神が説かれるのです。そして戦後イスラエルに、ユダヤ民族に貢献した人、ユダヤ人に救いの手を差し伸べた人達を顕彰するために「ゴールデンブック」なるものが展示されているそうです。この「ゴールデンブック」には二人の日本帝国陸軍軍人、樋口季一郎中将と安江仙弘大佐の名が刻まれています。こうした事実も「知って」欲しいと思います。
国體の話からずいぶん逸れたようですが、ようやく本題にたどり着けそうです。
さて、今まで述べてきた「猶太人対策綱領」は戦前まで生きていたもので、開戦から二ヵ月して施行停止となります。昔からユダヤ人は迫害されてきた(迫害される側にも原因はあるだろうが)歴史があるため、世界各国に生活の基盤を持っていました。そうなるとユダヤ人でも敵国に属していることもありうるため対策要綱は変更を余儀なくされます。そして、『昭和十七年三月十一日 連絡会議決定 「時局に伴ふ猶太人対策」』が発令されます。その中の「説明」という文章の中に次のように記載されています。(下線伊東)
「(前文大約:戦争が始まったため猶太人に対し友好的政策は続けられないが)然れども全面的に猶太人を排斥するが如きは八紘一宇の我国是に副はざるのみならず必ずや英米の逆宣伝に利用せらるべきに付原則として猶太人は当該国籍を有するものに準ずる取扱を為し元独逸国籍猶太人は之を無国籍人と看做し白系露人等に準じ取扱ふも(無国籍人の第三国国籍取得を容認せず)特に厳重なる監視を為すものとす。」
人種差別をしないという精神は神武天皇の「建国の詔」にある「八紘一宇」の精神によるものと明確に公文書に記載されています。日本はこれを「国是」としてきたのです!
次回、世界で初めて「人種平等提案」を行った日本!
気になる方は、こちら↓↓↓