日本大好き「とうさん」の 〝つぶやき″ & ときどき FX

【日本を知ろう】祖父・曽祖父による世界価値観の大転換|日露戦争

世界常識を変えた一大事件

日露戦争は今から115年前、1904-5年の出来事です。今回の「日本を知ろう」は世界史上最大の価値転換についてみてみましょう。

とうさんの曽祖父の代、日本は日露戦争を戦い、勝利します。これは当時の世界常識を一変した非常に重要な出来事です。何の価値が変わったのでしょう。それを知るには戦前の国際状況を少し振り返ってみる必要があります。

人種差別の時代

15世紀の大航海時代、世界に進出した西欧列強は、やがてアジア全域を植民地化します。例えばオランダなどは、350 年にわたりインドネシアの香辛料などを独占的に収奪し、19世紀に入ると、強制的栽培制度を導入しさらに収奪を強めます。
産業革命以降、西欧列強は原材料を求めアジア・アフリカ各地を植民地化していきます。そして原材料を安く買い取り、自国で作った製品を世界中で売り歩き莫大な利益を上げていきます。

対等な関係での貿易であるならばなんら責められることではありませんが、実際に行われたことは現地民を奴隷化するような搾取に等しいものでした。このあたりの詳細はまた後日載せますが、「西欧列強・植民地政策」等でググればいくらでも出てくるでしょう。

アジア・アフリカの抵抗

では、世界の有色人種は西欧白人列強のなすがままだったのでしょうか。いえ違います。最初は頑強に抵抗します。インディアンはとても勇敢な民族でした。

しかし大虐殺されるに至ります。何故でしょう。それは西欧白人社会が当時唯一産業革命を成し、兵器においても技術革新が進んでいたためです。技術革新から生み出された新兵器が、現住民族と西欧白人との戦闘能力の差を、個人の力では如何ともしがたい程にまで開いてしまっていたのです。そして世界では進化論とも相まって、白人種は人類の進化形であり「劣った民族である有色人種からは搾取しても良い」との価値観が生まれます。そしてそれを有色人種側も受け入れてしまったような状況でした。人種差別が当り前の価値観だったわけです・・

当時の日本

こうした世界の動きについて、鎖国政策を採っていた江戸時代においても、情報(=知ること)を大切にしていた日本は知っていました。イエズス会などの宣教師が奴隷売買や他国侵略に関わっていたこともわかっていたため、日本はキリスト教を禁じ鎖国へと舵を切っていくのです。また、日本の地政学上の利点(極東に位置しており、西欧列強からは一番遠い)も大きかったでしょう。
しかし列強の侵略を防いだ最大の要因は、日本人の勤勉さと技術力の高さです!種子島に伝わった鉄砲は瞬く間に大量に複製され改良され日本中に出回り、信長による集団戦法(長篠の戦)は世界より100年も先を行っていました!

dronepc55さんによる写真ACからの写真

が、いよいよ日本にも開国の波が押し寄せます。鎖国しながら情報だけは入れていましたが、やはりそれだけでは革新技術を自国の物とすることができず、西欧列強との間に技術力(=戦力)のいかんともしがたい差が生じてしまったのです。

アジアで唯一近代化を成し遂げた日本

 ここからの行動が日本人の日本人たるゆえんです。西欧白人列強の技術力を目の当たりにした他国の有色人種は反発し排外主義をとるか、もしくは敵わないと思いあきらめました。しかし日本人は違いました。日本人は非常に興味を持ちました。そして黒船が来航した際も蒸気で動く船ということだけで、なんと3つの藩(鍋島の佐賀藩、島津の薩摩藩、伊達の伊予宇和島藩)が蒸気船を作ってしまいます(もちろん外国船には及びませんが)。

これは日本人の国民性のなせる業です。遠い昔には異国の宗教である仏教を取り入れ、もともとの仏教国でも作られないほど巨大な大仏を鋳造してしまう(他国では大きい仏像もあるにはあったが、巨大な物は岩山を彫ってつくった磨崖仏(まがいぶつ)が主でした)、鉄砲の話はしました、現代では車も電子機器も性能や壊れにくさでは日本製が図抜けています。

 このように日本はもともと、他国の文化を取り入れさらに良いものを創るという国柄なのです。この国柄が明治にもいかんなく発揮されます。実際に西欧白人文明の高さを目の当たりにするや、「自分達にもできるはず!」と留学を盛んにし、貪欲に西欧文明を吸収します。できたばかりの維新政府も、主要メンバーを引き連れ、なんと1年半に渡り海外視察(岩倉使節団)をし、国の進む方向を決めるのでした。

日本を見る西欧の目

 このような日本の動きを世界は半信半疑の眼差しで見つめます。所詮「猿まね」と高をくくっており、日露戦争が始まっても日本が勝つなんて思う国は皆無でした。結局有色人種の国「日本」が西欧白人列強の国「ロシア」に勝てるわけがないのだ、と世界中が思っていたのです。そういう価値観が生み出されていたのです。

 日露戦争の結果は当時の価値観を一変させました。有色人種の国でも努力すれば文明文化を打ち立てることができるのだということを、西欧白人列強の一国である「ロシア」を打ち破ることで証明してみせたのです!

NHK「坂の上の雲」からキャプチャー:日本海海戦(前篇)より

 世界の有色人種は大いに励まされます。そして日本を応援しました。有色人種の「希望」が日本人に託されたのです。

【おまけ】

※ NHK制作「坂の上の雲」は日清・日露戦争を知るには、とてもわかりやすい作品です。是非ご覧ください。本記事も内容をわかりやすくイメージするため、「坂の上の雲」から画像を引用しています。

 なぜ、日本は日露戦争に勝つことができたのでしょう。

日露戦争では日本政府と陸軍・海軍が勝利に向けて一致団結していました。陸軍では児玉源太郎大将、乃木希典大将、海軍では連合艦隊司令長官東郷平八郎大将 などを始め、このころはまだ明治維新後の西南戦争を戦った歴戦の勇士が多く存命しており、戦争という物を良きも悪きも理解していました。良くて五分五分とみていた日本は、戦争開始前からアメリカを和平交渉の依頼先として、戦況が有利になった時点での和平交渉を考えていました。また、裏からは明石元二郎大佐にロシア革命を支援させ、ロシア内部からの崩壊も戦略として進めていたのでした。(このような大戦略に欠けていたことが大東亜戦争の敗因です)

 そして陸軍では秋山好古(よしふる)陸軍少将(最終階級陸軍大将)が活躍します。ロシアのコサック師団(ロシア騎兵、当時最強の騎兵部隊)に対し、騎兵を用いるのですが、コサックに対しては馬から降りて歩兵として、特に機関銃を有効に用いて戦いました。戦術の勝利でした。

NHK「坂の上の雲」からキャプチャー :敵艦見ゆ(前篇)より

 海軍では日本海海戦が有名です。ここでは新兵器「下瀬火薬」と「伊集院信管」が大いに戦果を挙げます。下瀬火薬はピクリン酸を主原料とする新兵器で、炸裂すると3000度という高温で周りのすべてを、甲板の塗料でさえ燃やしました。また海に落ちても伊集院信管により水面で大爆発を起こし、爆風や破片で人の動きを封じました。

NHK「坂の上の雲」からキャプチャー:日本海海戦(前篇)より

この新兵器があったためバルチック艦隊の目前でターンするような大博打に打って出られたのでしょう(東郷ターン:バルチック艦隊と併走する形での殲滅を狙った。ターンしている間、こちらは打てず打たれ放題)。日本の旗艦三笠は37発の敵弾を浴びましたが沈みませんでした。

国を護る覚悟、そして技術力(=戦力)、及び修練の差により勝利を得たのです。

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