とうさんの死生観
とうさんの死生観は前回伝えた通り(前回未読なら“こちら”を)
「魂(たましい)」はあり、「魂」は続く。「生」とは「魂」を磨くためのもの。現世に生まれ落ち、様々な経験・触れ合いから魂を磨き、人として成長すること、このことが生きる意味と捉えている。
現世は魂を磨く場所。とすれば、どうすれば魂を磨けるのか。
魂を汚すこと
逆に、魂を穢(けが)すことはなんだろう。
とうさん、君達が小さい頃から言い続けたことがある。
・卑怯なことをしない
・嘘をつかない
・ごまかさない
・約束を破らない
この「しない(四ない=四つのない)」を守れなかったときは「説教」に移行した。
人には「良心」というものがあるんだ。それに反する行いをすると「こころがざわつく」。なにかすっきりしない気持ちになる。
君達も思い当たることがあるんじゃない?
汚れた壁を見て母さん「これ誰がやったん、もーっ(# ゚Д゚)」って。
(あっ、オレじゃ・・・)(でも怒られるし・・・)『オレ、しらーん』
でも・・・こころがザワザワ・・・あるよねー・・・。
そして・・、最初はこころがザワザワするんだけど、なんども繰り返しやってるとザワザワしなくなる。ごまかしたり、嘘つくことが平気になっちゃう。
こころがザワザワしてるうちはまだ「魂」は穢(けが)れてない。「魂」が曇ってる状態。それでも続けてると「魂」が穢れる。一度穢れると、悪いことしても平気。だからどんどん魂は穢れていく・・・
何事も最初が肝心なんだ。小さい時の小さいことかもしれないが、ダメなものはダメ、悪いものは悪いと教えないと人にはなれない。魂が穢れてしまうと、それは人もどき。人に戻すにはかなりの努力がいる。魂を穢さないように生きるんだぞ!
こころが喜ぶこと
では、何をすれば魂は磨けるのか。
それは、こころが喜ぶこと。
これ、勘違いする人も多いのだが、この喜びは決して「自分の欲」を満たすことではない。人に親切にしてあげることは素晴らしいこと。
しかし、その見返りを求めて行う行為はこころが喜ぶことではない。浅い、自分という「意識」が喜んでいるだけ。
難しいんだが、より深い、童心のこころとでもいうべき、人間本来持っている「こころ」が喜ぶことが必要なんだ。
じゃ、どうすればいいんだろう。例えばお釈迦様は次のように言っている。簡単にいうと、
人のためになることをし、欲を抑え、耐え忍び、一所懸命努力し、常に冷静であれ。
この通りできれば最高なんだけど、凡人のとうさんにはなかなか。でもこれに近づけるよう努力することは大事だ。君達もこころに留め置いて欲しい。
魂を磨き切ると?
魂は続く。魂は穢してはならない。魂を磨き、人として成長するために生きている。
魂を磨ききって、これ以上磨けないほどピカピカになったらどうなるのか。
肉体が死を迎え、魂だけになると、子孫を見守る存在になる。そしてまた魂を磨きたいと思えば人間になって生まれてくる。
ピカピカになった魂は、子孫を見ているだけで幸せになれる。こうしたほうがいいよーって導く存在。無私の心で、子孫の魂に語り掛ける。そして良い方向へ導く。これ以上の幸せはない。これが幸せだと思えないうちは、まだまだ成長が足りないのかもね。そのときはまた肉体を得て修行せねば!
死生観と教育
とうさんの死生観は理解できたかな?
とうさんは「成長すること」が何より素晴らしいと思ってるから、君達が失敗したとしても叱ったりはしなかったはず。失敗の中にこそ、成功へのカギがあるのだから。
お姉ちゃんは失敗するの嫌いだよね。いいんだよ、失敗しても。それをどう反省して、次へ活かすかが大切なんだ。
弟くんはとうさんに似て適当な性格してるから、失敗しても割とへっちゃらだよな。だけど少しは気にしろよ。そして、失敗した「後」こそが大事なんだからな!
とうさんはこのように考え、そこに基礎を置き、君達の教育を行ってきた。それと素晴らしい日本の国史を伝えること。
君達も子供ができたら自分なりの「死生観」を持って欲しい。そしてそれを軸に子供を教育していくんだ。とうさんは願う。君達の「死生観」が、自分も、家族も、友達も、社会も、国も、すべてを「しあわせ」にするものであることを。
とうさん、君達が子供を授かるまで生きてないと思う。だからこのブログに遺す。とうさん流、子育て法を。君達の参考になることが少しでもあればとうさんは「しあわせ」だ。