とうさんの“いじめ”体験
とうさんも小学校6年~中学くらいにかけて“いじめ”の加害者にも被害者にもなった。“いじめ”の内容は「無視」。12~15歳くらいは多感な時期でもあるのでちょっとしたことが“いじめ”に繋がる。「あいつ、なんか気持ち悪い」「あいつちょっと生意気」といった、理由ともつかない理由で“いじめ”が始まる。
ターゲットを決め、「皆で無視しようぜ」と。
いつの間にか・・・
「無視」の波はいつともなく始まり、飽きたら終わった。順番にターゲットが移っていった。積極的には関わらなかったが同調圧力があり、なんとなく加わっていた。
こういういじめは反応を楽しむようなところがある。「無視」に対して必要以上に反応すると面白がられてエスカレート。逆に「無視」を「無視」しているとやるほうも張り合いがなく、いつの間にか終わっている。
対処
とうさんも自分がターゲットになったとわかったとき「無視」を無視した。一週間も続いたか・・・。週が明けたら終わっていた。
無視されているときの孤立感は相当あるが、読書も好きだったので放課後は早く家に帰り読書をした。本の中には無限の世界が拡がっていた。
暴力
中学に入ると“いじめ”の内容もエスカレート、暴力が伴ってくるのだ。とうさんの時代は不良というと物凄くわかりやすい恰好をしていた。鞄はぺちゃんこ、男はボンタン(ズボンの太もものところが滅茶苦茶広くなってるやつ)や短ラン・長ラン(丈が滅茶苦茶短い・丈が滅茶苦茶長い学生服)、髪はリーゼント。女は引きずるくらい長いスカート。
対処法はすこぶる単純。この連中には近づかないこと。
一般の人が暴力団に近づかないのと同じことだ。
普通の“いじめ”
だが、普通の恰好をしていても“いじめ”は起こる。軽いじゃれあいのような感じで、実は“いじめ”だったりする。小突いたり蹴ってみたり。
これはとうさんも加害者だ。被害にあわれた方には本当に申し訳ない。
“いじめ”る理由
大した理由はない。多感な時期に「なんかむしゃくしゃ」してたから。
いまから思い返すと、“いじめ”の加害者であったのは中学1年の時だった。ハンドボール部に入っていたが球拾いや声出しが主で力があり余っていたのだろう。
2年からは部の練習内容もハードになり、“いじめ”などする余力はなかったのではなかろうか。
3年の時は部の中心メンバー。県大会優勝を目標に掲げ練習の毎日。それが終わると受験に向け勉強。“いじめ”をする暇などなかった。
現代の“いじめ”
いまの“いじめ”がどんなものかよくわからない。だが昔のようなわかりやすい“いじめ”は少ないのではなかろうか。
暴力を伴うものや金銭が絡むものであれば警察を介入させれば良い話だ、傷害罪であり恐喝罪であるのだから(学校側は嫌がるかもしれないが・・・)。だが、いまはやり方も巧妙なのか・・・いや、あからさまなのは少ないだろう。
そうなると、無視や嫌がらせ(何かを隠したり)、孤立感を深めるような“いじめ”が多いのではなかろうか。
どう対処する?
とうさんの経験からすると“いじめ”をする子は暇なのだ。余力を持て余し、自分がどこに進んだらよいのか見えていないのだろう。
いま居る「小さな世界」をすべてだと思い、その世界を差配することで存在意義を見出している。
そんな奴らに付き合う必要はない。
でも君達もその「小さな世界」の住人だ。その世界が「すべて」だと思っている。まずその認識を改めよう!!
認識を改める
学校は君の周りに数ある「居場所」の一つに過ぎない。
最上の「居場所」、それは家庭だ。そうすべくとうさんは小さいころから君達を導いてきた。家族が安心できる場所、家族が本音を出せる場所、皆が自分を出せる場所。
君の「居場所」はここにある。
親離れ
しかし中学生くらいから親離れが加速する。理由もなくとうさんやかあさんが嫌になる。それは君が悪いのでもなければ、おかしいわけでもない。誰もが通る道なのだ。とうさんにもあった。
親から離れ、自立していく。それは君たちの「成長」なんだ。とうさんは嬉しく思う。
親離れ。誰にでも訪れる成長の証。だから学校に「居場所」を求める。その小さな世界で、精一杯背伸びして。
我慢し、合わせ、折り合いをつけながら・・・。君達は頑張り屋さんだから、頑張りすぎるから、とうさんは心配だ。
最上の「居場所」
学校・・・そこが本当に自分の居場所なのか、真剣に悩むようなことがあった時、最上の「居場所」を思い出して欲しい。
家庭。君達の「居場所」は、いつでもここにあるのだから。
帰る場所がここにある。ここを起点に、大きな世界へ羽ばたこう!
